2014年12月28日

サルサ歴史と由来

1930年代にカリブの島キューバのソンやルンバから発展したものをサルサの発祥とする説があるが、その後にプエルトリコ発祥のダンス音楽に、ジャズ、ソウル、ロックなどの要素を取り入れたものを発祥とする説、さらにその後1970年頃までにニューヨークで確立されたものをサルサの発祥とする説もある。
由来
サルサに直接影響を与えた音楽はキューバのソンである。これはスペインとアフリカの影響を受けた音楽で、もともとはキューバ東部のオリエンテ州に原型があり、1910年代後半にはキューバ全土に広がった。

1920年代から30年代にかけて、禁酒法が施行されたアメリカ合衆国からの観光ブームも手伝って、ソンがキューバで大変な人気を博し、多くの楽団が演奏した。1930年4月26日、キューバ出身のドン・アスピス率いる楽団がニューヨークのパレス劇場でショーを開催して大好評となったことでレコード会社が録音し、1931年には「エル・マニセロ(南京豆売り)」が当時としては異例の百万枚の大ヒットとなった。ここから、「ルンバ・エイジ」と呼ばれる1930年代のルンバの大ブームが起こった(この時名付けられたルンバとは、社交ダンスのスタイルを意味するルンバであり、キューバにあるアフリカ系音楽のルンバのことではない)。

キューバの他の音楽ジャンルも多かれ少なかれソンの影響を受け融合し、様々な亜流のソンが誕生して変質していった。その中でも1940年代には、ソン・モントゥーノが人気となる。ソンの中のモントゥーノ(コールアンドレスポンス)のパートを強調して、よりアフリカ的な色彩を強め、トレスに代わってサックスやトランペット、ピアノが楽団の編成に加わるようになった。かつてのソンの楽団の編成はセステート(6人編成)、あるいはセプテート(7人編成)であったが、1940年代になるとキューバの楽団は大規模になった。

ジャズに影響を受けた大規模な編成でミュージシャンらがデスカルガ(ジャムセッション)を繰り返す中、ソン・モントゥーノのリズムからマンボが生まれた。1944年にはアンセルモ・サカサスが「エル・マンボ」を録音し、メキシコシティではペレス・プラードが1949年に「マンボNo.5」を録音するなど、1940年代はラテン音楽の主流がマンボへと移っていった時期である。この時期ニューヨークでは、アルセニオ・ロドリゲスやフェリックス・チャポティーン、マチート、ティト・プエンテらが、大規模な楽団をそれぞれ率いて、パラディウム・ナイトクラブを拠点に活躍。そのスピード感とダイナミックなサウンドで、マンボは一大ブームとなった。

第二次世界大戦後の1940年代後半になると、ニューヨークにはヒスパニック系移民が爆発的に増加した。50年代に入ると、チャランガ編成によるチャチャチャやパチャンガもキューバから導入され、様々なスタイルのキューバ由来の音楽が存在した。

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つづく
Posted by saludkobe at 12:44│Comments(0)
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