2014年12月30日

サルサ音楽4

1970年代
70年代初頭、ファニア・オール・スターズの功績で、サルサは急激にニューヨークからラテン・アメリカ諸国に広まった。特にコロンビアでは、ジョー・アローヨなどの新しい世代のミュージシャンが、クンビアやバジェナートの要素とサルサを結合させて人気をとった。

多くのミュージシャンによって様々なアイデアがサルサに盛り込まれ、「サルサ」と呼ばれる音楽はその輪郭を強くした。ウィリー・コロンはプエルトリコの撥弦楽器クアトロを導入したり、ジャズやロックのみならず、パナマやブラジルの音楽も採用した。ファニア・レコーズのアレンジャー、ラリー・ハーロウは、エレクトリックピアノを加えてモダンなサルサにした。

サルサの興隆とともに市場が拡大し、音楽自体が多様化、複雑化した。独立レーベルであったファニアレコーズは1970年代の10年間で弱体化し、代わりにメジャー資本のラテン系音楽レーベルが大きく成長した。

1970年代後半にはキューバとの交流も一時的に可能となり、サルサはキューバ音楽に影響を与えた。

1980年代
1980年代には、サルサは恋愛のロマンス(時にセックス)を扱った歌詞、スムースなサウンドとメロディを特徴としたサルサ・ロマンティカに進化した。このスタイルはホセ・アルベルトが1984年にリリースしたアルバム「Noches Calientes」にさかのぼる。ロマンティカの新しい波は、ニューヨークとプエルトリコのラティーノの音楽市場を占める一方で、多くの若者はサルサに興味を失い、ロックやヒップホップ、R&Bを聞くようになったともいわれる。これらの流れは、グロリア・エステファンが1985年にヒットさせた「コンガ」に代表される、クロスオーバーしたラテン・ポップの人気へと繋がる。

1980年代後半になると、ニューヨークとプエルトリコのラティーノの間では、ドミニカ共和国の音楽であるメレンゲがブレイクし、ラテンダンスの分野でも認知されるようになった。


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Posted by saludkobe at 19:33│Comments(0)
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